心の作用(チッタヴリッティ)

「ヨガとは心の作用を制御することである。」Ⅰ-2

「チッタヴリッティ ニローダ」

として知られる、聖典ヨーガスートラの宣誓文です。

もっと厳しい表現だと、

「心の作用を止滅すること」との訳もあります。

どちらが正解か?

と論争もあるそうですが、どちらも正解でしょう。

実際、元の言葉である「ニローダ」は制御・止滅の両方の意味があるようです。

 

心というのはいつでも忙しく動き回ります。

それを止めようと思えば制御が必要です。

修行する僧侶と俗世で生活する一般人ではその意味合いは違うでしょう。

ヨガでは、どれだけ出来たからOKではなく、各自の立場や状況で精一杯する事が大切だという考えなのです。

 

心の作用をサンスクリット語で「チッタヴリッティ」と言います。

 

「心」は日本人にとってはとても曖昧な存在です。

ある時は感情を表し、ある時は思考を、ある時は私の本性だと考えたり・・・

混乱しています。

 

ヨガでは、チッタを明確に定義しています。

それは、感情であり、思考であり、私感覚であり、記憶であり…

自分の内側で渦巻く全て・・・

しかし、それは自分の本性ではありません。

 

心が騒がしいと、それ(チッタヴリッティ)が、本性を覆い隠してしまい真実の私を見失います。

慌ただしい毎日も、チッタヴリッティを起こし、私を見失う原因になります。

私を探そうと躍起になってもチッタヴリッティにより私は見えなくなります。

そうこうしているうちに、どんどん「私らしさ」から遠ざかります。

 

ではどうすれば???

 

そう、チッタヴリッティを鎮めるのです。

 

すると、

「その時、観る者はそれ本来の状態に留まる。。。」Ⅰ-3

とヨーガスートラにはあります。

 

ヨガはチッタヴリッティを鎮めた状態を表す言葉、

もしくは、チッタヴリッティを鎮める方法の事と言えます。

つまり、心を落ち着ける方法がヨガなのです。

忙しくストレスフルな現代を生きる皆様は知りたいですよね?

 

チッタヴリッティを鎮めたそこには、「真実の自分」が存在するのです。 

 

「その他の時は、チッタヴリッティと同化する。」Ⅰ-4

チッタヴリッティがある限り、思った自分状態(チッタヴリッティ)に同化するのです。

 

つまり、今の自分を好きか嫌いかに関わらず、自分が望んで演じているのです。

知っていましたか???

 

いま生きている人生は自分が創りだしているのです。