無知(アヴィディヤー)

ヴィディヤー(知識)のア(否定)で、アヴィディヤー(無知)です。

仏教的な表現では無明ともいいます。

 

普通に調べると知識や知恵がない事・・・とあります。

 

一般に無知と言うと、常識を知らない事、学が無い事、勉強が出来な事…などとの解釈でしょうか?

 

ヨガで言うところの無知は、真理を知らないことです。

 

真理はヴェーダを学ぶことで得られます。

それを教えてくれる人を「グル」といいます。

 

師匠、指導者という意味ですが、「闇を取り去り光に導く人」という意味があります。

闇は無知、光は知識です。

無知は光(明)が行き届いていないということなのですね。

 

闇が覆っているから彷徨うだけで、光はそこに在ります。

先生は闇を取り去るお手伝いです。

光を見つけるのは本人です。

決して、新しい知識を教えるのではなく、気付きを与えるのが教師だと言えますね。

 

さて、それはさておき・・・

真理のお話。。。

 

真理を知らないと、無理をします。

 

無理をしないで・・・

ヨガの先生が度々発する言葉ですね。

 

これは、努力しない・・・と思いがちですが、本来の意味は、

「理(ことわり)で無い事をしない」「真理では無い事をしない」という意味なのです。

奥が深いですね。

 

ヨガで理(ダルマ)を追求し、無理のない生き方を目指しましょう。

 

ヴェーダ、ヴィディヤーについては、「こちら」にもう少し詳しく書きましたので、興味がある方はどうぞ。